院長 山口孝弘
- 出身地
- 埼玉県川越市
- 血液型
- O型
- 趣味
- 読書、旅行
- 好きな食べ物
- ウナギ、蕎麦
- 尊敬する人
- 坂本竜馬、山岡鉄舟
- 感銘を受けた本
- 海賊と呼ばれた男(百田尚樹)・棟梁―技を伝え、人を育てる(小川三夫著)
整体師までの道のり
院長山口が、整体師として施術を通して皆様に貢献したいと思うに至たるまでの道のりは・・・
野球少年時代
大好きな野球を本格的に始めたのは小学3年生の夏でした。
どうしてもリトルリーグ(硬式野球)に入団したかった私ですが、当時は川越にリトルリーグがまだありませんでした。隣の市の所沢にある事を知り、自分で所沢市役所に電話をして詳細を調べ、両親にお願いして所沢リトルリーグ(所沢タイガース)に入団しました。
それからは毎週、所沢まで一人で電車に乗り、通っていたのです。四年、五年、六年生と3年間皆勤賞でした。実はいまだにちょっとした自慢です。
施術業界と私
そんな私と、施術業界との出会いは高校時代でした。8歳の時、リトルリーグから始めた野球ですが、高校時代に肩を痛めてしまい、接骨院へ行ったのがきっかけです。
「筋肉痛だから、気にしないで練習は続けなさい。」
と接骨院の先生に言われましたが、自分の感覚では明らかに、「これは筋肉痛なんかではない、違う・・・」と感じていました。
しかし、当時の私には接骨院の先生の言葉を信じるしかなく、休まずに練習を続けていましたが、先生の言葉とは裏腹に、痛みは日増しに強くなるばかり・・・
さらに首すじから肩甲骨まで痛みが広がり、最後には、ボールを持つだけで痛みが起きるようになりました。
それから、毎日のように練習が終わると近所の接骨院に行ったり、整形外科にも通院しましたが、一向に症状が良くなりません。仲間たちの活躍ぶりを横目で見ながら、一人別メニューで練習することが多くなりました。
やがて医者に行くと言っては練習をサボり出し、徐々にグランドから足が遠のきました。
不良仲間と夜遊びをするようになり、ついにバイクの無免許運転で警察に捕まってしまいました。
そして家庭裁判所に行く事に・・・。学校にばれたら退学?少なくとも野球部は出場停止処分になります。
私が捕まった一週間後、有名高校野球部員がバイクの無免許で警察に捕まり、野球部の出場停止が新聞紙上で発表されました。
自分のとった行動で仲間達に取り返しのつかない迷惑をかけるかもしれないとわかった瞬間、初めてうかつな行動をとったことを恥じました。
この事をきっかけに猛省し、もう一度一からやり直そうと心に誓いました。
そして、投手をあきらめ、打者に転向。治療をしながら猛練習を再開しました。スポーツマッサージ、カイロ、整体、有名な接骨院、整形外科と、県内に届まらず、東京、神奈川へと良い評判を聞けば何処でも行きました。
しかし、何処へ行っても痛みは取れず、試合前は痛み止めの注射を肩に打ちながら、試合に出ていました。そして、高校最後の夏の大会が終わり、ついに高校時代の三年間、痛みが無い状態で、全力でボールを投げられた事はありませんでした。
「結局は誰も治せない…」という治療業界への不信感で、私の野球人生は終ったのです。
整体を学ぶ
肩を壊したまま続けていた野球を、高校3年生で断念した私は、大学では少林寺拳法に打ち込み、26歳でフルコンタクト空手道に入門しました。
その後サラリーマンをしながら、空手道の支部長として空手道場を運営し、道場生を指導していた私の目標はただ一つ。極真会館主催の全日本大会でチャンピオンを育てる事でした。
そのためには何でも学びました。数々の大会でチャンピオンも輩出し、指導者として自信もついてきました。そんな中、大阪で開催された大会へ遠征の折に、空手道を通して知り合った整体の先生とお話しさせていただいたことが転機になります。
私自身はそれまでにも組手技術、トレーニング理論はかなり勉強し研究していましたが、コンディショニング、つまり体調の調整や管理の重要性には全く無知でした。
もっと言うと、激しい稽古をしているのでケガは当たり前!根性で我慢しろ!休まず稽古をしろ!と、競技の世界は、ケガをしない運の良い選手だけが生き残れると本気で思っていました。
コンディショニングの必要性を治療家の先生に教えていただいた私は、目からうろこの思いで、身体の勉強を始めたのです。
体を傷めないトレーニング方法も改めて勉強し、鳥取にあるワールドウイング本部の合宿にも何度も参加しました。施術の手技は経絡の勉強から始まり、複数の整体のスクールで学びました。
治療家のセミナーに通い、数々の療法を学びました。一年間、九州まで通った事もあります。全国の有名治療院も回り、空手の指導者としては充分過ぎるほどの知識も技術も得ることが出来ました。
しかし、スクールで知り合った方が次々と開業を始めていく中、私には開業する意思は全くありませんでした。
なぜなら、どこのスクールに行っても自分の身体が、肩が治っていなかったからです。
この技術で開業しても所詮は癒しでしかない、痛みの改善が出来ないと・・・。癒しのために開業する気はありませんでした。
整体の技術を求めつつその反面、心の片隅で「本当に痛みが取れる技術は何処にもないだろうな・・・」と思っていたのも事実でした。
整体院を3院開業
そんな頃、埼玉県内の有名クラブチームに所属する中学3年生二人を、ある先生が運営する整体院の行事に連れて行く機会がありました。
座禅から始まり、身体の使い方や心と身体の勉強をみっちり教えていただきましたが、その間に一人の中学生が抱えていた膝の痛みが落ちたのです。
様々な療法を勉強した後でも、相変わらず施術業界に不信感を抱いていた私には衝撃的な出来事でした。灯台下暗し、求めていたものがここにあった。そう思いました。
この療法ならきっと多くの人の痛みに真剣に向き合っていけるのではないかと思い、改めて院長から療法を学びました。そして先生の院では初めての分院として開業させていただくこととなりました。
その後、私の元で学びたいという施術家志望の者たちとの縁もあり、埼玉・東京で合わせて三つの院を開業するに至りました。
何処へ行っても治せなかった私の野球肩の痛みも、私自身の治療理念が変わったことで徐々に改善への道すじが照らし出されました。今は全く問題なく投げる事が出来ます。
来る日も来る日も、本当に大勢の患者さんに施術させていただく日々が続きました。腰痛、肩の痛み、膝痛、頚椎症、足底筋膜炎、側湾症、捻挫、肉離れ、頭痛、顎関節症・・・
多い日では朝7時から夜11時まで隙間なく予約をいただき、文字通り寝食を忘れるほどの生活を送っていました。
どの患者さんも、どんな症状でも絶対改善させると意気込んでいました。
しかし、臨床経験を積んでいくにつれて、焦りを感じるようになりました。例えば腰痛ひとつを取っても、患者さんにより症状を起こしている原因は様々で、どの患者さんにも同じ手技を施していて同じ結果が出るはずがありません。一方、分院として院を運営している以上、基本的な手技から離れるわけにはいきません。
しかし本当に患者さんを症状改善へ導くには、今までのやり方のみでは限界があるように思えてならず、この時期はかなり苦しみました。
忙しい合間に何とか時間を作っては、治療研修や複数の他流派の治療家の先生の勉強会にも参加して技術を学び、症状改善の答えを探し続ける日々に入りました。
午前中に施術をし、お昼過ぎに新幹線に乗り、夜遅くまで治療家の先生に学び、翌朝に帰宅して午前9時から施術をする。そんな日もたくさんありました。そんな生活を何年も続け、気がつけばかなりの金額を、勉強と交通費に費やしていました。
今までやってきた療法をひたすら信じて続けてきた私ですが、様々な治療家先生に出会い、様々な療法の視点や考え方を学んでいくうちに、人の身体の奥深さをわかっている気でいて実はまだまだ深く理解しきれていなかったことを思い知ることになります。
しかし、これは施術家としてここまで経験を積んで初めて見えてくることです。ですからこれまでお世話になった院長には心から感謝しております。
ついに独立
悩んだ末に院長の分院としての運営から独立し、本当の意味での患者さんの根本的な症状改善と、快適な生活を送れる身体作りのためになると自分自身が信じることを、心おきなく提供できる環境を整えて再スタートすることを決意しました。
随分と、本当にかなりの遠回りをしてきましたが、ここで、こうしてみなさんの前に立てることを大変うれしく思っています。
私は高校時代に思うように野球が出来ずに辛く苦しい思いをし、スポーツの素晴らしさと同時に厳しさも味わいました。
また、やんちゃで活発な子供時代であった反面、実は体が弱くてよく病気をしていました。今では空手の先生もしているので、昔から健康で丈夫だったように見られがちです。しかし、特にずっと耳が悪く、幼稚園時代から中耳炎で病院通いを続けていて、小学3年生の時、東京の虎ノ門病院で手術をしました。
現在でも右の耳は聞こえず、患者さんにご迷惑をおかけする事もあります。
だからこそ、体の痛みにより日常生活がうまくできないあなたのお気持ちがよくわかります。あなたも「絶対に治る」という信念を持って自分の体に向き合ってください。必ず良くなります。
また、来ていただいている皆様への責任として、私は施術のための努力と研究を惜しまないことを約束します。
そしてこれからも、さらなる質の向上と共に、みなさまから頼りにされ、痛いとき辛い時に気楽に来院できる整体院を目指します。
山口 達也
- 出身
- 埼玉県川越市
- 血液型
- A型
- 好きな食べ物
- トマト,和菓子,チョコレート
- 嫌いな食べ物
- トマトジュース
- 好きな映画
- ハリーポッター
施術家を目指すきっかけ
父の影響もあり、幼少期から空手、小学3年生から野球を始め、中学3年生の部活引退まで球児としてがんばりました。その他にも水泳・テニス・和太鼓を習うなど、好奇心旺盛な子どもでした。大学時代は、東京ディズニーランドでバイトし、「働くことの意味」「人に認められることの喜び」「人の為に働くこと」を知り、私の喜びになりました。
その頃、父が院長を務める整体院に行き、東京ディズニーランドで感じた「働くことの意味」「人に認められることの喜び」「人の為に働くこと」を父が整体を通して苦しんでいる人に提供していることを知りました。
また、「体のあちこちが痛い、痛い」と苦しんでいる人を父が諦めずに治そうと努力する姿や苦しんでいる人の苦痛が笑顔に変わる瞬間を見ました。このような経験から、「これが私の目指す道だ」と確信し、施術家の道に入りました。
施術家としての想い
「技術を身につけて、痛みに苦しむ全ての人を笑顔に変えていきたい」
これは、私の目標です。
父から技術を学ぶだけでなく、色々な講習を受け学び続けています。施術家として6年経験を積んできましたが、キャリアでは父にはかないません。
しかし、骨の変形や関節の歪みをミリ単位で修復する技術などを身につけ、多くの人がゴールまで目指せるようにお手伝いしたいという思いで技術を磨き、日々勉強しています。
まだまだ若輩者ですが、技術に自信があります。他にはない治療をぜひ受けに来てください。
きっと良くなります。(^^)
橋本 麻以
- 趣味
- 水彩画、植物栽培、散歩
- 好きな食べ物
- 果物、ナッツ類、お寿司
- 嫌いな食べ物
- 辛いもの
- 好きな映画
- 魔女の宅急便
施術家を目指すきっかけ
以前は保育園で事務や保育補助として働いており、自身のみならず同僚や保護者の方々が身体の不調で悩んでいる姿を多く目にしていました。
また、近年「食物や健康について」考えていることが多くなり、管理栄養士を目指していた頃を強く思い出すようになりました。
このふたつを大きなきっかけに「身体を内側と外側から健康にするプロフェッショナルになりたい!」と考え治療家としての道を目指しました。
井上 知明
- 出身
- 東京都江戸川区
- 趣味
- 合気道
- 好きな食べ物
- カレーライス、鍋
- 好きな映画
- プロジェクトA
施術家を目指すきっかけ
中学・高校生の頃は部活で、大学時代は合気道部の稽古で怪我ばかりしていました。元々運動能力が高くない上に、当時は非合理的なトレーニングをしていた事もあり、しょっちゅう体を痛め、その度に近所の整形外科はもちろん、当時は珍しかった大学病院のスポーツ整形外科にも通ったりしていました。 大学卒業後はメーカーに就職し、生産管理や営業の仕事をしておりましたが、当時は業界が景気の良かった事もあって、流れ作業的な業務に疑問を感じる様になりました。 自分の仕事に疑問を感じ始めていた頃に整体の仕事があることを知り、人の役に立てる、自分の様に痛みで悩んでいる人の力になりたいと思い、この道を志しました。
施術家としての想い
以前に働いていた整体院や整骨院でもたくさんの方を診てきましたが、
『痛みで困っている方』、
『身体の不調で悩んでいる方』
が元気になって喜んでくれる、
感謝していただける、
こんな素晴らしい仕事はないと思っております。
また、そんな機会に恵まれるたびに、自分もまだまだ精進しなくては、と日々気が引き締まる想いです。
自分自身歳を重ねていく中で、若い頃と比べ体力面で落ちていることは間違いありません。そんな中でも身体の使い方を変えたり、食事や生活習慣を変えていく事で合気道の稽古も楽しく続ける事が出来ています。
当院にいらっしゃる方にも、痛みを取り除くだけではなく、
『今まで出来なかった事が出来るようになる』、
『人生の可能性を拡げる』、
『健康寿命を伸ばしていく』、
そんなお手伝いがしたいと思っております。
お電話ありがとうございます、
東京外反母趾センターでございます。